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札幌高等裁判所 昭和41年(う)120号 判決 1970年1月29日

本店所在地

釧路市末広町一一丁目三番地

釧路貨物自動車株式会社

右代表者代表取締役

工藤清

本籍

釧路市城山町一二九番地

住居

右同所

会社役員

工藤清

大正四年一二月二三日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、昭和四一年三月二日釧路地方裁判所が宣告した判決に対し、被告人らから控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官清水安喜出席、審理の上、左のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

当審訴訟費用は、被告人らの連帯負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人池田雄亮作成の控訴趣意書、同補充書および上申書(正誤表)記載のとおりであり、これに対する答弁は、札幌高等検察庁検察官鈴木安一作成の答弁書記載のとおりであるから、それぞれこれを引用する。

控訴趣意第一点について

論旨は、被告人会社の本社は、統括部門(いわゆるA部門)と運送事業部門(いわゆるB部門)とに分れ、このA部門とB部門の関係は、A部門と同会社の各営業所(同会社から名義を借りているにすぎず、その事業主体は営業所の長たる個人)との関係と同じであり、B部門は要するに被告人工藤の個人営業にすぎないのに、原判決が被告人会社の法人所得の算定に当つて右のB部門の損益をも総合したのは、理由のくいちがいないし判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認を冒したものであるというのである。

しかし、被告人会社本社の運送事業部門の主体が同会社ではなく、その代表者たる被告人工藤個人であり、同部門は前述した実体を有する同会社の各営業所と同視すべきであるとの所論は、記録および原審で取調べた証拠に照らし、到底採り得ない。まず、被告人会社の各営業所については、営業に当つて被告人会社の名前を用いているけれども、車輛等の資産は各営業所の計算において購入、維持、所有し、一営業所の事業収支はすべて当該営業所(の長たる個人)に帰属し、また被告人会社本社に対しては車輛一台あたりいくらという定率定額の名義料を支払うほかは本社の事業維持に一切責任を負わないという実質関係であり、結局被告人会社がその名義を各営業所の長という個人に貸して一定の名義料を徴している関係であると認められるのである。他方、被告人会社本社については、同会社はそもそも被告人工藤が会社組織で事業を行なうという典型的な個人会社として発足したのであり、ただその過程で他の個人営業者に頼まれて名義を貸すこととしこれを被告人会社の営業所にしたに過ぎないと認められ、加えてその後被告人会社本社分の運送事業のみが急速に拡充発展し、また昭和二八年から二九年にかけ、被告人会社が資本金を二六万五、九〇〇円から一〇〇万円に増資した際の引受払込も被告人工藤一人でなしたようなこともあつて、被告人会社の個人会社的性格はますます強まつたことが認められる。すなわち、会社発足の経緯からして、被告人工藤の場合には、他の営業所長の場合に比し、会社組織と自己の営業をあえて分離して被告人会社から名義を借りるべき理由はむしろ薄弱であつたのであり、さらにその後の本社事業の発展はますますその理由を乏しくする方向へ推移したということになる。また、会社経理の実体をみても、被告人会社本社の運送収入が会社の簿外でいつたん被告人工藤の個人口座に入金されたうえ、会社運営の必要に応じ適宜(もつとも、一応予算立をするため月二〇万円は定額納入するけれども)運賃収入等として公表勘定に繰り入れ支出されていることが認められるのであり、このことは被告人会社本社の全営業収入をもつて本社事業の推持運営に当てるべきものとされていることを示すものに外ならず、被告人会社の他の営業所と決定的に異なる点であり、被告人会社と同工藤との間に単なる名義貸借関係があるにすぎないとみることをきわめて困難にする。所論は、被告人会社本社の運送収入がいつたん簿外で被告人工藤の個人口座に入金されていることをとらえ、一定の期間継続してとられてきた経理方法はある程度経営の実体を示しているはずであり、本件の場合において、それは被告人会社B部門が被告人工藤の個人営業であることを意味するにほかならないと主張する。たしかに、経理方法は、本来経営の実態に即して仕組まれるべきものであろうが、本件において、前述したように被告人会社本社の収入をすべて被告人工藤の個人口座に入金する方式は、会計の本質を十分理解したうえで措定されたのではなく、被告人工藤が個人で事業を営んでいた当時の勘定方式を会社設立後においてもそのまま引きついだだけのことであると認められるから、それが直ちに被告人会社の外における被告人工藤の個人事業の存在を意味するものでは決してなく、むしろ、それは、被告人会社が同工藤の個人会社であり、被告人工藤は会社と自分個人の区別を意識せず、会社事業の収入をほとんど個人の収入同様に処分していたという経営実態、すなわち、いわゆる個人会社においてしばしばみられる会社の私物観ないし公私混同をこそ意味するものというべきである。所論は、また、被告人会社本社B部門と各営業所はそれぞれ独自にそこで稼働する従業員の給料を支払つている点において、またそれぞれの運送収入から、被告人会社名をもつて仕入れかつ、支払わなければならない車両代、油代、修理費等を経費として本社A部門に計上している等の点では同じであるというのであるが、前述した諸点のほか、B部門の運送未収金は被告人会社の公表決算書に計上されている点等をも考慮すると、これらはいずれもB部門の実体に関する前記認定の妨げとなるものではない。

ひるがえつて、被告人工藤も、捜査当時においては、被告人会社本社の運送業務はその名どおり会社の業務であると供述しているのである。すなわち、自分の場合は各営業所と異なり、名義を借りているのではなく、運送収入がすべて会社に帰属するという意味で工藤即会社であつて、例えば、会社が協同組合のようなもので、その外で自分が事業をするというのではなく、自分のやつていることが会社の事業なのであると供述し(例えば、査察官に対する昭和三五年二月二日付、同月一一日付、検察官に対する昭和三六年五月一日付供述調書)あるいは、営業所関係についても、かねて名義貸の解消を図り名実ともに会社組織に組入れるべく要望力説していたが、その長たる者が会社に統合されるのを嫌うためなお名義貸部門が残存継続していた旨供述し(例えば昭和三五年二月二日付査察官に対する供述調書)、要するに被告人会社本社即自分ということをしきりに強調しているのであつて、この供述からは、被告人工藤において、被告人会社のほかにこれとは独立して被告人工藤の事業が存在したとの認識を抱いていたとは見得べくもない。所論は、右捜査中の供述は、被告人工藤が個人の所得税の逋脱追求を免れるため税法上有利な法人税法違反を装つた虚偽のものであるというのであるが、右供述はすでに述べたところから明らかなように、被告人会社の経営の実体に合致し、到底これを所論のいうような思惑による虚偽の供述とは解し難い。その他るるの所論にもかかわらず、所論のいう被告人会社B部門が被告人工藤の個人営業であるとは認め難く、論旨は理由がない。

控訴趣意第二点について

論旨は、要するに、被告人工藤には、本件法人税法違反について犯意がなかつたこと明らかであり、法人税逋脱の犯意を認定した原判決には事実誤認ないし理由不備の違法があるというのである。

しかし、記録および証拠物を精査しても、被告人工藤の犯意を疑わしめる事情を見出し難く、かえつて、右犯意の存在は証拠上明らかに肯認し得る。すなわち、被告人工藤は、捜査中においてこの点につき自白をしており(例えば検察官に対する昭和三六年五月一八日付供述調書)、かつ右の自白は、被告人会社の運送賃収入をすべて会社簿外の被告人工藤の口座に入金し、その一部のみを被告人会社の公表勘定に繰り入れるほかすべて簿外で操作している経理の実体および昭和三二年度の確定申告については右の簿外分は全く除外されており、また同三三年度の確定申告についても、その申告を依頼した計理士長屋勝春に対して資料を秘していること、その他原判決指摘の事情に照し十分な信憑性を認め得る。所論は、原判決が被告人会社の経理方法をもつて、被告人会社の経営の実体と被告人工藤の犯意の各認定の証拠に供するに当りその評価を異にし理由不備の違法を冒したものであるというのであるが、原判決が右の経理方法をもつて犯意認定の罪証に供するにあたり、それをもつて被告人会社の経営の実体認定の罪証に供するに際しての評価とは別異の角度よりもつてしたことは何ら矛盾ないしくいちがいというに該らない。なお、所論中、被告人会社のB部門が被告人工藤の個人営業で被告人会社(A部門)と異なるということに基づく主張のとりえないことは、控訴趣意第一点に対し説示したことから、自ら明らかである。また原判決が、計算容易な銀行預金に多額の犯則があることを以て逋脱犯意認定の一資料としたことは、不合理な認定でないことはもとより所論の如く損益法財産法との混同というにはあたらない。結局、所論にもかかわらず、被告人工藤に本件法人税法違反の犯意を認めた原判決の事実認定は相当というべきであり、論旨は理由がない。

控訴趣意第三点ないし第五点および控訴趣意補充書の趣意について

論旨は、原判決が本件犯則年度における被告人会社の収益と認め、あるいは同会社の損失に計上しなかつたもののなかには、いずれも証拠上そのようにみることが疑問なものが多くこれらの点に理由不備又はそご、審理不尽ないし事実誤認の違法があるというのである。よつて、所論が指摘する各項目ごとに考察を加えることとする。

一  いわゆる歩積金について

所論は、いわゆる歩積金は被告人工藤が依頼されて手形割引をなした際それが不渡になつた場合における損失担保のための預り金にすぎないものであるのに、原判決がこれを被告人会社の益金と認定したのは違法であるというのである。しかし、記録中、中井力蔵、高橋修二、西田嘉三、横路明己、大場健司の各検察官に対する供述調書等によれば、手形割引を受ける者はこれを利息の一種と観念してその返済を受ける気はなかったことが認められるとともに、被告人工藤の検察官に対する昭和三六年五月一六日付、同月二四日付各供述調書等によれば、被告人工藤においてもその返済を考えていなかつたと認められるから、右歩積金は本来預り金勘定に繰り入れるべき筋合のものではなく、その実質が益金であることは明らかである。なお、所論は、手形割引とそれに伴なう歩積金の徴収は、被告人工藤が会社の簿外でなしたものであり、かつその相手方として被告人会社も含まれていることをもつて、右歩積金が収益であるとしても、被告人工藤の個人所得とすべきであるというもののようであるが、控訴趣意第一点に対する判断で示した被告人会社の経理の実体および右手形割引金の源泉資金が被告人会社の運送事業収入等であることを念頭におき、なお被告人工藤の査察官に対する昭和三五年八月二〇日付供述調書によれば、被告人工藤が被告人会社の手形を割引いている場合は、被告人会社の取引先が持参した被告人会社の手形を被告人工藤名義の銀行口座の枠を利用して割引いたものであつて、被告人会社が割引の相手であるわけではないことが認められることを考慮すると、所論はにわかに採用し難いところであるのみならず、かりに所論のいうように被告人会社が右手形割引の相手であつたとしても、前述したように、被告人会社については一応、公表勘定と被告人工藤の個人勘定の双方が存在したことからすれば、このことから直ちに所論のいうように、右歩積金が被告人工藤の個人所得であるということはできず、所論は理由がない。

二  村山由太郎に対する五〇万円の手形貸付金について

所論は、原判決は、回収不能の不良債権である村山由太郎に対する手形割引による手形貸付金五〇万円を被告人工藤の個人債権であることを理由に被告人会社の損失金であることを否定したが、それが被告人会社の債権であることは、原判決上右手形貸付金の利息が被告人会社の収入とされていることからも明らかであるというのである。

ところで、村山由太郎に対する問題の五〇万円の手形貸付金の源泉資金およびその利息が所論のいうように原判決上被告人会社の収入とされているかは証拠上必ずしも明白ではないが、本件犯則年度における同種手形貸付金の源泉資金は、被告人工藤が被告人会社の簿外で操作していた被告人会社の事業目的たる運送事業収入およびこれに関連する付随的収入であると認められ、これを被告人会社の収入とみることの相当であることは前述したとおりであり、他方、右手形貸付に際し利息ないし前記の歩積金を徴した場合には、それは右の源泉資金の帰属という点からみて、やはり被告人会社の収入となると解するのが相当であり、そうすると、この種手形貸付金は、原則として被告人会社の債権であると解するのが相当であり、特段の事情の認められない、本件村山由太郎に対する手形貸付金五〇万円も被告人会社の債権と考えるのが相当である。したがって、これを被告人工藤の個人債権とした原判決の認定は誤りであるといわなければならない。しかし他方被告人工藤の検察官に対する昭和三六年五月一七日付供述調書および原審第一六回公判調書中証人村山由太郎の供述記載によれば、金物店を経営していた村山由太郎は昭和二九年に事業に失敗し同三〇年六月廃業するにいたり、その後経営した食堂、入浴業も思わしくなく同三一年六月廃業するにいたっていることが認められるから、右五〇万円は、本件犯則年度の昭和三二年および三三年以前に回収不能となつていたというべきである。そうすると、原判決がこれを本件犯則年度の被告人会社の損失金として計上しなかつたことは結局においては正当であつたというべく、原判決の前記の事実誤認は判決に影響を及ぼさないというべきである。

三  旭木材工業株式会社に対する五〇万円の貸付金について

所論は、原判決は右五〇万円を被告人会社の債権としながら、それが回収不能となつた時期を本件犯則年度以前と認定したのは誤りであると主張する。

しかし、被告人工藤の検察官に対する昭和三六年五月一六日付供述調書および原審第一六回公判調書中証人正札佐九自の供述記載等によると、原判示のように、右債権は本件犯則年度以前の昭和三〇年一〇月項に回収不能となつたと認定するのが相当であり、所論は理由がない。

四  佐々木土木株式会社に対する二〇〇万円の手形貸付金について

所論は、右二〇〇万円の手形貸付金は二の村山由太郎の場合と同じく被告人会社の債権であり、かつ本件犯則年度には回収不能の状態にあつたのに、原判決がこれを被告人工藤の個人債権として被告人会社の損失に計上しなかつたのは事実を誤認したものであるというのである。

そこで考えるに、二の村山由太郎の場合について述べた、本件犯則年度における同種の手形貸付金の源泉資金およびそれによる利息等の帰属(特に佐々木土木株式会社については昭和三二犯則年度における別口の手形貸付金の利息は被告人会社の収入とされていることが留意されるべきである。大蔵事務官下道耕三作成の昭和四〇年三月二一日付報告書別表(5)参照)からすれば、原判決が右二〇〇万円の手形貸付金を被告人会社の債権とみずに被告人工藤個人の債権としたのは誤りであるといわなければならない。しかし、原審第二八回公判期日における被告人工藤の供述、被告人工藤の検察官に対する昭和三六年五月一八日付および同月二四日付各供述調書、泉功、佐々木勝造、村岡貞三(二通)の検察官に対する各供述調書、浅川正敏の査察官に対する供述調書、佐々木勝三から泉功あての書面釧路地方法務局所属公証人赤野敬正作成の公正証書正本等によると佐々木土木株式会社は昭和三二年夏項銀行取引を停止され以後事実上倒産状態にあつたけれども、被告人工藤は同会社々長佐々木勝造に対しなお右二〇〇万円の返済方を再三督促し、その結果同人は昭和三三年八月二日付をもつて、同会社が自らの資金で釧路市末広町四丁目に建築した映画館を浅川興行株式会社に売却した代金につき同会社に対して有する利息債権二三一万円余のうち二〇〇万円を被告人工藤に有効に譲渡したこと、右債権の弁済期は昭和三六年一二月末日で、かつその全額を被告人工藤(すなわち被告人会社)が確実に受領するについては全く問題がなかつたわけではないけれども、本件犯則年度において取立不能の状態にはなかつたことがそれぞれ認められるから、結局前記二〇〇万円は本件犯則年度における被告人会社の損失金として計上するに由なきものであり原判決の前記事実誤認は判決に影響を及ぼさないというべきである。

五  道東興業株式会社に対する二五〇万円および釧路トヨペツト株式会社に対する一、二〇〇万円の各出資金等について

所論は、右二五〇万円および一、二〇〇万円はそれぞれ相手会社に対する出資金であるが、その源泉資金等からみて、二の村山由太郎および四の佐々木土木株式会社に対する各債権と同じく被告人会社の債権とみるべきであり、かつそれは本件犯則年度においてはいわゆる不良債権又は投資として回収不能の状態にあつたのに、原判決がこれを被告人工藤の個人債権又は出資金であるとして被告人会社の損金に計上しなかつたのは、違法であるというのである。

記録によれば右二五〇万円および一、二〇〇万円は、原判決もいうように、それぞれ相手会社に対する出資金と認められる(道東興業株式会社に対する二五〇万円は厳格にいうと二〇〇万円の出資金と五〇万円の貸付金であるが、右五〇万円も実質的には出資金と認められる。)。ところで、原判決は、この点につき、右出資が被告人会社の業務と直接関係がなく、かつ被告人会社の取締役会の決定を経ないで被告人工藤が独断でなしその名義も同被告人の個人名義であること等から、これを被告人会社の出資とは認められないとする。しかし、記録によれば、右出資の源泉資金は、前述した被告人会社の運送収入等と認められ、かつ右出資が被告人会社の目的と全く無関係とは認められないこと等からすれば、右出資の私法上の効果については若干問題が残るとしても、少なくとも、本件のような税法違反の観点からみるときは、右出資の主体は被告人会社とするのが相当であり、この点原判決は事実を誤認したことになる。

そこで、右各出資が本件犯則年度において回収不能の状態にあつたか否かについて考える。まず道東興業株式会社については、原審第二八回公判期日における被告人工藤の供述、被告人工藤の検察官に対する昭和三六年五月一八日付、同月二四日付各供述調書、泉功、佐々木勝造、村岡貞三(二通)の検察官に対する各供述調書、浅川正敏の査察官に対する供述調書、佐々木勝三から泉功あての書面、釧路地方法務局所属公証人赤野敬正作成の公正証書原本等によれば、同会社は釧路市末広町四丁目に映画館を建築して映画を上映する目的で設立され、前記出資金二五〇万円も、全額右映画館工事代金の一部として右工事を請負つた佐々木土木株式会社に支払われたこと、ところが共同出資を約した者がその約束を履行しなかつたため、右道東興業は資金が続かず昭和三一年六月頃事実上倒産したこと、被告人工藤は、右佐々木に対して右二五〇万円の返還を求めたところ、同会社は工事の途中で代金の追加支払を受け得ず損害を蒙つたとしてこれを拒み、被告人工藤はなおもその要求を続けていたが、その後佐々木土木が自己資金で工事を続行し完成した映画館を昭和三三年七月末浅川興行株式会社に売り渡した際、被告人工藤、佐々木土木、浅川興行の三者の間で浅川興行から佐々木土木に支払われるべき代金のうち一〇〇万円を被告人工藤に交付することに合意が成立し、前記二五〇万円の出資金のうち一〇〇万円だけは回復されたこと、しかし残一五〇万円の回復は、佐々木土木がその前年の昭和三二年夏銀行取引を停止され事実上倒産状態にあつたこと等の事情から望み薄であつたことがそれぞれ認められる。そして、右認定の事実によれば、前記二五〇万円の出資金のうち、一五〇万円は、昭和三三年七月末の時点で回収不能の状態に陥つたと認めるのが相当であるから、原判決がこれを昭和三三犯則年度の被告人会社の損金に計上しなかつたのは、事実を誤認したものというべきである。

次に、釧路トヨペツト株式会社については、記録によれば、同会社は昭和三一年に発足したものであるが、右発足後数年(本件犯則年度を含む。)は経営状態は必ずしも良好でなかつたと認められるけれども、会社発足後数年間経営状態がはかばかしくなくその後業績が好転するということは世上往往にして認められるところであり、釧路トヨペツト株式会社についても、他の同種会社の業績等からみて本件犯則年度当時倒産必至の状態にあつたとは考えられず、現にその後業績は好転したことが認められるから、本件犯則年度当時は業績は必ずしも苦しくなかつたとしても、そのことのゆえに同社に対する出資金を回収不能の不良債権として評価するのは相当でないというべきである。したがつて、原判決が釧路トヨペツト株式会社に対する出資金を被告人会社の回収不能の損金として評価しなかつたことは結局において正当であつたというべく、したがつて、前記の事実誤認はなお判決に影響を及ぼさないというべきである。

六  荒沢幸一に対する五〇万円の貸付金について

所論は、右五〇万円も被告人会社の債権であり、かつそれはいわゆる不良債権であるから、被告人会社の損金として計上すべきであるのに、原判決がこれを被告人工藤の個人債権であるとしたのは、事実の認定を誤つたものであるというのである。

記録によれば、右五〇万円もその出所は被告人会社の運賃収入等と認められ、その限りでは前記二ないし五の各債権と異なるところはない。しかし、被告人工藤の検察官に対する昭和三六年五月一七日付供述調書、原審第二二回公判調書中証人荒沢幸一の供述記載によれば、荒沢幸一は、被告人会社との間に取引等はなく被告人工藤が結婚の仲人をした等の個人的関係だけから前記五〇万円を借り受けたものであること、右五〇万円について利息は支払われておらず、また返済期限の定めもないばかりか被告人工藤は、右荒沢に対して、孫子の代にでも返してもらえばよいとの趣旨すら述べていたことが認められ、これらの諸点に照らすと、右五〇万円の貸付は被告人工藤が被告人会社の金銭を利用して個人的になしたものと解するのが相当であり、したがつてこれを同被告人の個人債権とした原判決の事実認定は正鵠を得たものというべく、所論は採るを得ない。

七  手形割引による利息について

所論は、原判決が被告人会社の受取利息に手形割引による利息収入を含めて認定したことを非難し、原判決には事実誤認ないし理由不備又はそごの違法があるというのである。しかし、前述した被告人会社の経理方法を前提とし、かつ右手形割引金の源泉資金が被告人会社の運送収入等であることに照らすと、原判決が右手形割引による利息収入を被告人会社の益金と認定したのは相当であるというべきである。所論は、右手形割引による利息収入には、被告人会社の手形を割引いたことによるものも含まれていることをとらえ、この分は当然被告人会社の益金から控除されるべきものであるというのであるが、被告人会社のいわゆるA部門とB部門を一体視して考えるならば、右主張は失当であるのみならず、すでに一の歩積金に関し判示したように、この場合は、被告人会社の取引先が持参した被告人会社の手形を被告人工藤名義の銀行口座の枠を利用して割引いたものであつて被告人会社を割引の相手方としたものではないことが認められるから、所論はいずれにせよ採り得ない。

八  預金利息収入について

所論は、まず、原判決が被告人会社の預金利息収入としたもののうち、昭和三二年度の四、二五五円および二万三、七六三円について、その元金は被告人工藤の子らの名義の毎月の積立預金および定期預金であるところ、その出所は被告人工藤の給与等であるから、右の分の利息は被告人工藤の個人収入であつて、被告人会社の益金から控除されるべきものである。なお、昭和三三年度についても同様のものが存在すると思われるというのである。

なるほど、原審で取り調べ済の被告人工藤の査察官に対する昭和三五年二月三日付および同年五月六日付各供述調書においては、被告人工藤の子らの月毎の積立預金および定期預金の出所は同被告人の給料等であるとの記載がある。しかし、他方、被告人工藤の査察官に対する昭和三五年二月一二日付供述調書には、同被告人の給料はすべて妻に渡していたとの記載があるのみならず、原審で取調済の当座預金出納帳(札幌高等裁判所昭和四〇年押第四六号の一九)および銀行出納帳(前同押号の四六)等の関係証拠に当審証人村上圭二の当審公判廷における供述を総合すれば、まず被告人工藤の子らの月毎の積立預金の源泉資金は、所論にもかかわらず被告人会社の運送収入等であると認定するのが相当であり、また所論の指摘する定期預金についても、記録によつて認め得る被告人工藤の家族名義の定期預金の預金額、口座数、口座設定の頻度等からすれば、その源泉資金もまた被告人会社の運送収入等であると認めるのが相当であり、したがつて、所論の指摘する預金利息収入を被告人会社の収入とした原判決の認定が誤りであるとは認められない。

所論は、また、原判決が被告人会社の預金利息収入としたもののなかには、被告人工藤が鮭、鱒の漁獲販売により得た収入約一、〇〇〇万円を元金とする、昭和三二年度、同三三年度各六〇万円も含まれており、この分も被告人工藤の個人所得であるから、被告人会社の益金から控除されるべきであると主張する。

しかし、記録および当番事実調の結果によつても、この点を認めるには足らず、所論は理由がない。

九  十勝牛乳輸送有限会社の運賃収入について

所論は、原判決は十勝牛乳輸送有限会社関係の運賃収入昭和三二年度一三〇万二、八二五円、同三三年度三三七万四、五四二円を被告人会社の運賃収入として計上したが、同会社は被告人工藤の名義借りに基づく個人営業であるから、右の原判決の認定は誤であるというのである。

しかし、被告人工藤の査察官に対する昭和三五年二月三日付、同年六月二五日付、検察官に対する昭和三六年五月二四日付各供述調書および川宇田和三郎の検察官に対する供述調書によれば、十勝輸送有限会社は、その名義を用いて被告人会社が営業していたものであることが明らかであるから、それによる運賃収入ももとより被告人会社に帰せられるべきものである。したがって、この点の原判決の認定が誤りであるとは認められない。

以上個別的に検討したところによれば、原判決は被告人会社の昭和三三年度の損金として道東興業株式会社に対する回収不能債権一五〇万円を計上せず、その結果同年度の被告人会社の所得を右同額過大に計上した点において事実を誤認したことになる。しかし、右の額は、原判示被告人会社の昭和三三年度の所得一、五六二万四、六八四円の一割程度にすぎず、これを右の原判示の所得から差し引いた額を基準として算出される、同会社の同年度の法人税額および逋脱金額も、原判示のそれと一割程度の差があるにすぎない。そして、このような場合には、事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかとはいえないというべきであるから、原判決の前記事実誤認は、なお原判決破棄の理由とはならないというべきである。

なお、職権をもつて調査すると、原判決は、起訴にかかる昭和三二年度の被告人会社の所得金額から無尽利息収入五万二、二五〇円を控除減額しながら、右減額を翌三三年度の事業税算定に当つて考慮せず、その結果同年度の被告人会社の所得金額、法人税額さらに 脱金額の算定基礎を誤るという事実誤認を冒していることが認められる。しかし、右減額を昭和三二年度の事業税算定に当つて考慮した結果導き出される正当な同年度の被告人会社の所得金額、法人税額、逋脱金額と、原判示のそれらとの差は僅少と認められるから、右事実誤認もまた原判決に影響を及ぼすことが明らかとはいえないというべきである。

控訴趣意第六点について

論旨は、要するに、各被告人につき原判決の量刑が不当であるというのである。

しかし、本件各犯則年度の逋脱金額が多額に上るうえに、特に昭和三二年度において税務署係官から正当な申告方の勧告を受けたにもかかわらず、翌年度においても逋脱を行なつていること等記録に現われた諸般の情状に照らすと、所論にもかかわらず、被告人らに対する原判決の量刑が重きに失するとは認められない。論旨は理由がない。

よつて、本件各控訴は、いずれもその理由がないから、刑事訴訟法三九六条によりこれを棄却することとし、当審訴訟費用の負担につき同法一八一条一項本文、一八二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 深谷真也 裁判官 小林充 裁判官 木谷明)

控訴趣意書

被告人 工藤清

外一名

右に対する貴庁昭和四一年(う)第一二〇号法人税法違反事件につき左の通り控訴趣意を提出します。

昭和四一年七月五日

右弁護人 池田雄亮

札幌高等裁判所 御中

控訴の理由

第一、原判決は、次のような事実の誤認があつて、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。すなわち

一、原判決は、被告人会社の実態を把握するに際し、その所謂本社部門の運送業務を被告人会社の業務そのものと認めたのであるが、これは根本的な誤まりである。すなわち、いみじくも原判決が正しく指摘している如く、被告人工藤は、「個人の計算において営まれている他の営業者」と全く同様の個人営業者の一人に過ぎなく、右本社部門の運送業務は、被告人工藤の個人営業であつて、被告人会社の営業そのものではない。

右事実は、次の諸事実、理由により証拠づけられるものである。

イ、被告人会社のそもそもの沿革は、被告人工藤及び他の営業所主任者の夫々の独立の個人企業であつたものが、戦時中の企業合同の要請にしたがい、遂時大同団結し、釧根貨物自動車株式会社となり、戦後の再分割に際し、運輸免許の資格の関係から右各個人営業にまで到る再分割がなされず、昭和二六年九月二〇日、右釧根貨物の釧路営業所を中心とした釧路貨物自動車株式会社として設立発足し、現在に至つているものであること。(記録一六八七~一六八八丁)

ロ、前項の大同団結から再分割に至るまでの間、企業活動の実態は、すべて、歴史的必然性と地域的強固な結びつきを持つた各地域、各営業所の所長又は主任の個人営業であり、この営業の実態は、釧路市内の一地区担当者たる被告人工藤にも正しく該当していたこと。(記録一六九三丁~一六九七丁)即ち、各得意先からの運送依頼は、株式会社なる被告人会社にくるのではなく、企業合同以前の各個人営業時代からのつながりによつて、被告人工藤他一一ヵ所の営業所責任者夫々に直接なされるのである。

偶々従前からの結びつきを持たない新しい得意先による運送依頼が被告人会社宛になされた場合には、被告人会社(本社A部門を指す)は、積荷、積込地、仕向先、手持空車状況等をにらみ合わせ、工藤他営業所のいづれかに当該運送注文を廻し、各個人は、被告人会社名義で当該運送を実施するのである。

右運送による対価の入金は、当然被告人会社に入金されるが、これは被告人会社本社A部門により統轄される公表決算上、運賃収入として計上され、内部処理上、当該運送業務を担当した営業所よりの預り金a/cとしての意味を持たせ、同営業所のために支出される車両油代等の支払代金及び同営業所従業員の給与の支払源資とする経理処理をとつたのである。

以上のような被告人会社と各営業所の業務の実態からは、被告人工藤の本社B部門としての営業は、どこまでも右工藤の個人営業である実質を失なわず、被告人会社の営業なる実質は、こと運送業務に関しては、全然なかつたものであること。

(控訴審において新たに且つ確認的に立証する予定)

ハ、前各項の如き被告人工藤の個人営業としての実態は、被告人会社の前記本社部門中の所謂B部門における活動として現われているのであつて、本社部門中の所謂A部門とは本質的に異なることは、他の営業所の営業活動と同様であること。(記録一七〇七丁~一七〇八丁、一七一四丁~一七一五丁)

ニ、前項の本社B部門の活動は、具体的には、被告人工藤及び女子事務員斉藤サチコの二人のみにより経理的に把握されており、佐々速雄他三、四名の行つている本社統轄部門たる所謂A部門によつては、全然タツチされていなかつたものであること。(記録一七一二丁~一七一三丁)

ホ、右被告人工藤のなす個人営業の実態は、同被告人が昭和二九年九月二九日以降被告人会社の代表取締役となつたこと、更には同三〇年一一月、同社の資本金を一〇〇万円となし、この増資分の実質的払込みが右被告人のみによりなされたこと等の事実によつても何ら変るところがないこと。

ヘ、被告人会社本社部門中所謂A部門とB部門との営業場所、資金面の融通等の関連性は、右A部門と他の営業所との関連性より多少その密接さにおいて異るとは云え、これは被告人工藤が釧路地区の一地区担当個人営業所の主宰者である地の利に応じて本社部門が設立されたこと、並びに、右同人がその所有車両数及び営業規模等において、他の地区営業者とは隔絶した実力を持つていたこと等によるものであること。

ト、かくして、被告人工藤の営業は被告人会社の本社B部門である実態を終始失うことなく、これを被告人会社の営業そのものと認定した原判決は、重大な事実誤認をなしたものと云うべきである。

チ、前記ヘ、において述べた本社A部門の資金繰りに関連して、被告人会社は、被告人工藤に、昭和三二年度において二二回にわたり合計金二、〇八七、一四〇円の手形の割引を依頼し、後で問題とする所謂歩積金を含め、手形割引による支払利息として金一〇二、一九七円の支払をなし、(記録一、八八一丁)昭和三三年度においては、同じく三四回にわたり、合計金三、八四九、九六〇円の手形割引を依頼し、これにより、金二一〇、六〇九円の支払利息を計上している。(記録一九二〇丁)

右事実が、札幌国税局の査察結果により、矛盾なく取上げられていることによつても、被告人会社本社A部門と被告人工藤の本社B部門とを実体的に同一視せず、独立のものとして右国税局により認識されていたことをもつとも適格に立証しているものである。

かかる重要な客観的事実についての証拠を充分に評価しなかつた原判決には、後述する如く、被告人会社の益金中手形割引に伴なう利息収入認定のための理由とくいちがいを生じさせ、これにより、被告人会社の実体についての事実認定を誤つた違法があると云うべきである。

二、イ、そもそも原判決は、以上と同趣旨の被告人会社の実体に関する原審弁護人の主張に対し、右主張は、「被告人会社の経理方法を前提とするものであるが……」として、いとも簡単に排斥している。

しかしながら経理方法は、企業活動の実態を無視して設定調整遂行されるものではなく、企業活動の真実の実態に即して経理されるところにその本質がある。

しからば、被告人会社の行つていた経理方法が、その本社統轄部門たる所謂A部門の企業活動のみを取扱い経理調整していたことは何ら誤りはない。。当該経理方法を離れて企業活動の実態を把握せんとしても、前記各事実によつて認定される如く、被告人工藤の所謂本社B部門の運送業務活動を、他の営業所と異なり被告人会社の営業そのものと認める余地は全然ないのである。

ロ、前項の原判決の思考は、検察官論告中の「他の情况と併せて経理方法から企業主体等の実態を帰納することがあつても、それと反対に経理方法をもつて企業の実体を引き出し、決定づける事由にすると認定を誤まらしめる危険がある……」の論理に引きづられたものと考えられる。

しかも、右検察官自体が、被告人会社の経理方法につき充分な理解なくして誤られる論述を随所になしている事実(例えば論告第一一の4、二の1 2)によつても、原判決は検察官の誤まれる独断的ペースに従つて判断したものと思われる。

しかも、被告人会社の経理方法の実態を正しく把握していなかつたことは、最終公判期日における裁判長の質問で明らかであり、大きな偏見の下に原判決がなされたものと思われる。(記録一九八三丁~一九八八丁)

ハ、而して、本項では被告人会社の経理方法の実体を述記し、被告人工藤と他の一一ヶ所の営業所主宰者と全く相異なき由縁を論述したい。

けだし、昭和二六年以来の被告人会社の経理方法の実体を把握することは、何ものにもまして、特に種々の利害関係心理的圧力により変転しやすい人間の供述よりも、客観的にして動揺しない貴重な証拠を提出することとなり、被告人会社の実態を浮かび上がらすことになるからである。

ニ、検察官論告第一、一、4で指摘する如く、先づ

a、被告人会社の本社の社屋、車両は、すべて右会社の公表決算に計上されている。

しかし、各営業所で保有する車両も、実質的には各営業所の責任者の所有に属しているのに拘らず、やはり被告人会社公表決算に計上されている。(記録一、八六九T~七〇T、一、八八四T、一、九六一丁~三丁)

b、従業員は、形式上はすべて本社の経理から給与の支給を受けているが、実質的には統轄部門たる所謂本社A部門の佐々速雄他三、四名の従業員は、名義料収入からその給与の支給を受けているのに対し、被告人工藤の営業に属する所謂本社B部門の従業員は、釧路営業所なる実質を有する右工藤個人の営業による運賃収入からその給与が支給されている。

これ又、他の一一ヶ所の営業所の従業員と全て同様であり、この客観的実質に従つた経理方法が、これ又、被告人工藤個人営業と他の各営業所責任者に同様に適用されているのである。

c、前項の経理方法を以下に再説する。被告会社の運賃収入は、公表決算上、各営業所の所有車両一台当り幾らという名義料と、これと被告人工藤の月額二〇万円の名義料とが先づ根幹となる。

被告人工藤の月額定額名義料は、車両一台当りという計算方式による場合と大差なく、名義料の実質が失なわれているものではない。

ところで、被告人会社の運送収入は前述して来た如く、被告人工藤ら各営業所主宰者の運送業務による運送収入の中、被告人会社名をもつて仕入れ支払わねばならない車両代金、油代金、修理費等並びに前項の各営業所従業員の給与等の現実の支払に見合う分のみを右工藤他各営業所から入金を受け、これを運送収入として計上すると共に、他方、右車両代他の支払経費として計上してきたことは、検察官冒頭陳述で述べている通りである。(記録二三丁~二四丁)

されば、被告人工藤が自己の営業による運送収入の中、定規路線による現金収入を女子事務員斉藤サチ子に記帳させ、右以外の一般区域路線の売掛金収入及びこれより発生する受取手形金等を自己の帳簿に記帳していた事実は、被告人会社の簿外帳簿による簿外収入ではないのである。

更に、被告人会社の名をもつてする(これは実質的には所謂本社A部門の名をもつてすることを意味する)前記諸支払に際し支払資金の不足を生じた際は、資金的に余裕のある被告人工藤の右現金又は預金等の一時借入れの目的をもつて、右工藤口座等から公表決算の基礎となる本社A部門帳簿に振替え記帳していたに過ぎない。

而して、この際簿記上貸方借入金a/cを使用せず、貸方運送収入a/cで処理していたものに過ぎず、簿記上、右前受収益的性格をもつ運送収入の金額の範囲内で工藤個人営業にかかる車両代、油代、従業員給与等を支払つていたものであつて、これ又、他営業部と本社A部門との諸関係と全く同一であり、同一経理方法によつていたものである。

d、以上、被告人会社の経理方法、特に同社A部門とB部門なる被告人工藤間の資金の働きと、これに対する簿記的処理方法を述べてきたが、いづれも右A部門と他の一一ヶ所の営業所間の経理処理と何の変わりはないものである。

かかる経理方法という実質的客観的物指しによつて、被告人会社の活動が長年月経理された事実を充分に理解されたならば、被告会社の実態が、右経理方法によつてカバーされない別の実質を有するとは、倒底判断されるものではない。

検察官主張の如く、経理方法と別の諸事実、諸証拠によつても、その証拠の持つ経理的簿記的意味、評価が正しくなされたならば、前述の経理方法からする被告会社の実態の把握と、何ら変るところのない結論となるものであつて、この点原判決は、簿記経理的思考を欠如したことによる事実認定の誤りがあると云うべきである。

三、イ、被告人工藤は、捜査段階の当初。本件逋脱所得が被告人会社の法人所得であるかの如き旨の供述をしていながら、公判廷の審理段階になつてから、被告人会社法人の所得にあらずして、個人の所得である旨の供述をなしている。

この点、検察側論告において「刑事被告人たる地位におかれた者の憐れむべき供述の変更」として取り扱われているが、この見方は誤りである。

即ち、本件逋脱事件は、札幌国税局により当初被告人会社に対する法人税法違反事件及び被告人工藤に対する所得税法違反各査察事件として提起されたものであつて、国においても、本件事案を法人税事件として確定出来るか否かにつき多大な疑問を感じていたのである。

ロ、右国税局の個人法人両方への捜査追及に対し、被告人両名は、税法上争点多く攻撃防禦のため有利な法人税法違反事件として、一本にしぼつて攻撃を受けんと試みるに至つた。

即ち、先づ法人個人双方えの違反事件として、所謂ダブルパンチを受けるよりは、法人税法違反事件としてのみ処分を受けたいと考えたこと。

これにより法人税法上の税率と比べ著しく高い所得税法上の累進税法の適用を免れること。

課税所得計算上、法人税法上の益金から損金を控除する方式が所得税法上の収入金額から必要経費を控除する方式より有利な結果となること。

(法人税法第二二条、所得税法第三六条、三七条<1>……当該総収入金額を得るため直接に要した費用の額及び……)

右規定の結果、本件事件の争点の一つとなつている投資有価証券評価の問題及び債権貸倒損の問題等は、本性事件が法人税法事件として取扱われる方が有利となると考えたことによるものである。

ハ、以上の攻撃防禦方法の選択によつて被告人工藤は

「会社即工藤、工藤即会社という考え方をしている」(三五年二月二日付査察官に対する供述調書-記録八七〇丁)趣旨等の各供述をするに至つたもので、これをもつて右工藤の営業即被告人会社の営業部と原審では即断されたものと思われる。

しかし、右工藤の一連の供述は、前記の本件事件に対する防禦方法の選択に伴なう供述であると共に、いみじくも検察官論告で指摘されている如く

「所謂同族会社の形態をとる中小企業の経営者意識というものが、その現実の姿で現われているものと認められ」るもので、右二者間では矛盾はない。

けだし、被告人会社は、前述したように、本来単なる工藤他一一ヶ所の営業責任者のための統轄機関にすぎず運送事業なる営業の実体を有さないものである。

しかるに前述の防禦方法の選択の結果、被告人工藤の個人営業及び他の一一ヶ所の営業所の営業全部を含めたものが被告人会社の営業行為であつて、右被告人会社の営業の過半分をしめるのが、被告人工藤の個人営業であるという認識を持ち、この旨の主張をなすに至つたものである。

即ち、前記第一の一、ホ、中で述べた如く、被告人工藤は、被告人会社内においてその所有車両台数の多いことと、それに伴なう営業規模運賃収入の多額なること、更には被告人会社の代表取締役であることと相俟つて、自己が被告人会社の実権を有しており、被告人会社本社営業部門としての所謂B部門における被告人工藤の個人営業が、被告人会社の営業の重要な部分を占めていると考えての発言に過ぎない。

ニ、しかるに、以上の被告人工藤の各供述の信憑性を疑う事なく、しかも、右供述と相矛盾しないと同人も考え(記録一、九八九丁)且つ、客観的にも矛盾しない公判廷における同人の供述を、信憑性なしとして、被告人会社の実体に対する認定を認つた原判決は、経験則にもとずく採証方法を誤つた違法があり、これによる事実誤認をなしたものと云うべきである。

ホ、以上の結論は、被告人工藤が被告人会社の代表取締役であつたこと、更には被告人会社と同一の運送業務をなすにつき取締役会における何ら特別の手続をとらなかつたこと等によつて左右されるべきものではない。

けだし、被告人会社代表取締役工藤清名でなしていた営業行為は、被告人工藤の個人営業のみならず他の一一ケ所の営業所における営業活動すべてであつて、運送業務しかり車両名義しかり、車両代金、油代、修繕代金等支払すべてしかりであつて、被告人工藤の所謂本社B部門における個人営業のみをもつて、被告人会社の営業とみなす根拠は何もない。

又は、右被告人工藤のなす個人営業としての運送業務につき、被告人会社の取締役会において何らの手続がなされなかつたからと云つて、右被告人の営業が、即被告人会社の営業としての実質を有することにならないこと(商法第二六四条三項四項)、及び単なる会社に対する損害賠償責任発生原因となる場合があるに止まること(同法第二六六条一項三号)、によつても明らかである。

第二、被告人工藤には、本件被告人会社の法人税逋脱の犯意は存しなかつたに拘らず、この点の原審弁護人の主張を排斥した原判決には、次のような理由不備と、これに伴なう事実誤認がある。

一、原判決において、右主張排斥の理由として、先づ経理方法をあげているが、前述した如く、当該経理方法の正しい認識からは、原判決の如き結論は出ず、逆に被告人工藤の犯意なきことを引き出すに止まるものである。

原判決は、前記第一の被告人会社の実体に対する判断においては

「弁護人の主張は、被告人会社の経理方法を前提とするものであるが……」

として当該経理方法を被告人会社の実体の認定については否定的認定の証拠に採用している。

しかるに、右被告人会社の実体に関連する本件被告人工藤の犯意については、右経理方法を肯定的認定の証拠に採用しているのである。

かかる原判決は、経理方法なる同一の証拠の評価と、これによる理由づけに著しいくいちがいを生ぜしめていると云うべきであつて、理由不備の違法がある。

二、被告人工藤は、被告人会社の実体につき、前述した如く、それが単なる組合の如き統轄機関に過ぎないという認識を持つていた以上、被告人会社(本社の所謂A部門)に法人税逋脱事実ありとする認識が出よう筈がない。

けだし、右被告人会社は、何ら実質的営業活動としての運送業務を営んでおらず、単なる名義料収入を得て、統轄部内担当取員の給料その他の諸経費を支払つてトントン又は赤字になるものとの意識しか持つていなかつたからである。

被告人工藤の供述中に、昭和三二年度の被告人会社の確定申告が帯広地区などの一車当りの所得に対する割合から云つてほぼ妥当だというふうに考えていた旨の記載がある。(記録一、九八一丁)

右供述は、右確定申告が被告人会社の前記特殊な経理方法によつて、同社本社A部門の所得に、工藤他二ケ所の営業の所得を加算したものであることを前提としての供述で、本社A部門のみの所得に関する認識ではない。

いわんや、被告人工藤のなす所謂本社B部門をもつて被告人会社の営業の実体をなすものとして、この所得が被告人会社の所得であるとの認識はあり得よう筈はなく、被告人会社の法人税につき逋脱の意思が発生する余地はあり得ない。

被告人工藤にとつて考えられる何らかの逋脱の意思は、単に同人の本社B部門としての個人営業による所得税に関する逋脱の意思が考えられるのみである。

この点の判断を誤つた原判決には、著しい事実誤認があると云うべきである。

三、イ、昭和三三年度分の被告人会社の確定申告の方式は、申告期限直前の税務署の勧告により、前年度の申告方式とは異なり、従来の決算方式による公表決算利益に被告人工藤個人営業の決算利益を合算して申告している。(記録一、九〇三丁、逋脱税額計算書、説明事項4、(二)※印)

右合算の結果、当時高橋法律事務所会計部の長尾勝春の有していた能力と右工藤a/cに関する資料によつては最善と考えられる決算がなされ、これが前記のように被告人会社の公表決算に繰り入れられたのである。(記録八四二丁)

右事実の証拠として、昭和三三年度にかかる国税局のすぐれた能力と各種の資料による検査、査察の結果、被告人会社の運賃収入の計上洩れは金九、六九五、一一五円に過ぎなく、当該金額は、正当運賃収入金八四、一一一、六三八円と比較すれば一割強に過ぎないことがあげられる。(記録一、八九九T、逋脱税額計算書1の(1))

以上、運賃収入に限つて云えば、一割程度の計上洩れは帳簿組織も末整備で斉藤幸子以外に専問の経理職員をおかなかつた工藤a/cに関する収入は、右同人の逋脱の意思なく、公表決等に組み入れ申告されたものと云うことが出来る。(記録八四九丁)

ロ、原判決は、「本件においては申告所得と実所得との差異があまりに大きいこと」を逋脱の犯意ありの一証拠としている。

しかし、右差異のを占める前記運賃収入を除けば、後は預金利息と、手形割引による利息収入に過ぎない。右の中、予金利息の原資たる予金の大部分は、被告人工藤の本件犯則年度より数年前の運送事業と関係のない個人営業により獲得蓄積したものである。これより生づる預金利息を、被告人会社に関する確定申告に計上しないことは、けだし当然であり、この点に逋脱の犯意を認めることは出来ない。(当控訴審における新たな証拠により立証予定。)

更に手形割引による利息収入は、元来その大部分が被告人工藤個人の割引行為と目されるものであること、(記録一、五九二丁)

本件事件の争点の一つになつている所謂歩積金が右利息収入の大部分を占めること等から、これ又原判決に云う如き申告所得と実所得との差意を大きく占めることにはならない。

これらの事実から、原判決の適示の証拠事実からは、被告人の逋脱の犯意は出て来ないのであつて、原判決には理由不備の違法がある。

四、原判決は「就中計算の容易な銀行預金について多額の犯則があること」も被告人の逋脱の犯意を認める理由にあげている。

しかし、かかる原判決の理由づけは著しく説明不足であるのみならず、原判決が採用した法人所得の算出に関する所謂損益法による立場からする理由づけとはならず、理由づけ相互間及びその前提概念を矛盾させている。

けだし、原判決の採用する損益法の立場からは、費用と収益の把握に関して、夫々被告人が如何なる把握をなしたか。

この際いかなる逋脱の犯意をもつて右二要素を確定計上したかが問題にされなければならず、かゝる計上の途上において、容易に認識可能か否かが論ぜられなければならないからである。

しかるに原判決は、右損益法の立場を離れ、突如として財産法的思考を持ち出し、銀行預金なる資産a/cの多少と、その計算容易性に言及し、これを逋脱の犯意認定の重要な証拠となしたのである。

仮りに、原判決の混乱せる思考を前提にしても、預金額の多少は、直接犯則事実を説明することにならないことは、資産a/cの増加は、他の資産a/cの減少又は負債a/cの増加とも対応する簿記学上の原則からも明らかである。

しかも、当該預金a/c残高中には、前記三のロで述べた如き、被告人工藤個人の別途予金が混在している事実がある以上、益々「当該預金についての多額の犯則があること」を前提としての原判決には、著しい事実誤認があり、且つ、これによる理由不備の違法がある。

第三、原判決は又手形割引に伴なう損失担保のための預り金に過ぎない所謂歩積金を、被告人会社の益金と認定したのであつて、これ又著しい事実誤認である。

一、そもそも、被告人工藤がなした本件一連の手形割引行為は、得意先の不渡発生による連鎖倒産を防ぐための好意的、便宜的行為であつて、何ら営利を目的としたものでないことは証拠上明らかである。(記録一、六一八丁~九丁)

而して、銀行取引の慣行上、手形割引に伴ない、歩積金を要求せられていたことも事実であつて「この歩積金調達のために各割引先たる得意先から歩積金を徴収したに過ぎない。(記録一、五九〇~一丁、一、五九三丁)

当該歩積金が被告人会社名で徴収される時には、預り金a/c又は保証金a/cで預り金として処理されていた事実、及び被告人工藤により徴収される時には、同人の大学ノートにより、割引料とは別に記載されていた事実を考える時(記録一、六〇五丁、一、六〇八丁~九丁)

右証拠が客観的事実証明の証拠であるだけに、これに反する一部の手形割引人の供述を誤信して、当該歩積金を預り金にあらずと認定した原判決は、証拠の評価に関する経験則違反なる訴訟手続の法令違反があり、これによつて重大なる事実誤認をなしたものと云うべきである。

二、本件歩積金について検察官調書中に、被告人工藤は手形割引に伴なう諸費用のためにこの歩積位は貰つてもよいと考えていた趣旨の供述(記録一、一五一~二丁)があり、これを検察官は論告中でも引用し、原判決もこれに引きづられたものと見受けられる。

しかし、右証拠は、同じニユアンスを持ち、同じ趣旨の供述をしたと思われる右被告人の他の供述(記録九〇三丁、昭和三五年二月三日付査察官に対する質問顛末書)と重大な相違がある。

即ち、後者の調書では、歩積金にあらずして、所謂利ザヤを対象とし、この利ザヤは、前記各諸費用のために、右被告人は貰つてもよいと考えていた趣旨の供述となつている。

右両者の調書を比較してみると、取調べ検察官は、右後者の顛末書閲覧の後に、対象をすりかえて前者の如き供述調書をとつたものと推認され、その証拠価値は極めて薄いものと云わねばならない。

三、イ、前記一で述べた如く、本件歩積金は、被告人会社と被告人工藤両名が各自手形割引する際、徴収したものであるが、被告人会社が被告人工藤に割引依頼した回数は極めて多い。

即ち、昭和三二年度においては、一六八回中三四回(記録一九二〇丁別表(5))に及んでおり、右事実から考えると、被告人会社が被告人工藤に割引料及び名義料まで支払つて手形を割引依頼する以上、各得意先からの手形の割引行為及びこれに伴なう歩積金徴収は、殆んど被告人工藤がなしていたものと推認される。

しからば、本件歩積金を含めた利息収入を被告人会社の益金として公表決算に計上しなかつたことは、それが前記の通り被告人工藤の所得となる筋合である以上当然であつてかかる点を看過した原判決は、著しい事実誤認をなしたものである。

ロ、仮りに、本件歩積金全部が被告人工藤により徴収されなかつたとしても、原判決は、右歩積金を含めた利息収入を被告人会社と被告人工藤の各自の所得にいかに区分し帰属せしめるかにつき充分且適切な審理をなしていない。

けだし、前記イ、において摘示した各証拠により明らかに被告人会社自身の支出した歩積金他の支払利息を即被告人会社自身の手形割引による利息収入と看做しているのであつて、かかる自己矛盾した証拠はあり得ないからである。

以上の観点から、原判決には著しい審理不尽の違法があり、ひいては著しい事実誤認があると云うべきである。

ハ、そもそも原判決は、前記会社即工藤、工藤即会社なる如き被告人工藤の虚言に信憑性をおいた余り、こと被告人会社の益金の把握に関しては、ことごとく被告人工藤に不利に証拠を採用する偏向がある。

この偏向は、会社の損金に関する証拠の採用についても、又々被告人工藤に不利にとり上げているのであつて、これは、後述の債権、貸付金及び投資有価証券の帰属に関する認定において如実に現われている。

右、被告人会社と被告人工藤の実体に関する原判決の偏向が本件歩積金を含む手形割引による利息収入の帰属に関しても現われている。

即ち、仮りに運賃収入の帰属に関しては、右被告人両者の諸関係、その他被告人会社の実質的営業活動を被告人工藤の運送業務以外に見出し得ない等の事情から、被告人会社に帰属せしめることがあつても、本件歩積金に関する帰属は、右思考と同一である必要がないばかりか、同一視することはかえつて誤りである。

これは前掲の各証拠によつても明らかである。

右事実は、本件手形割引の動機によつても左右されるものではなく、手形割引のワクが、右工藤個人に設定されていたこと、及びその裏付けとなる対銀行への預金の出所が、前記第二の三、ロにおいて述べた如く被告人工藤の全くの個人預金であるにおいておやである。

右事実の認定を誤つた原判決には著しい事実誤認がある。

第四、原判決には又、被告人会社の有する貸付金、出資金等の内、次のような不良債権又は投資があるのに、これを被告人会社設立前の債権であるとか被告人工藤の個人債権であるとか、犯則事業年度以前の貸倒れである等の理由で全て排斥しているのは、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認をなしたものである。

更に、当該諸点に関する原判決には、極めて理由不備の違法がある。

一、イ、先づ、村山由太郎に対する貸付金七〇〇、〇〇〇円であるが、この内五〇〇、〇〇〇円が手形割引による手形貸付金で二〇〇、〇〇〇円が無儘の掛金のための借入れである。

而して、右村山は昭和三三年、旅館業に転換する際、八〇〇万円からの借財をかかえ、弁済の能力なく、一般の債権者から事実上債務免除を受けたこと、被告人工藤に対しても同様であつたこと等から、結局、右同年に本件貸付金は回収不能となり右工藤の負担に帰することとなつたものと見るべきである。(昭和三九年二月一〇日付村山由太郎証人尋問速記録)

ロ、原判決は、右貸付金はいづれも被告人工藤の個人債権であるという理由で、被告人会社の損金たることを否定している。

しかし、右五〇〇、〇〇〇円の手形貸付金の手形不渡にさる被告人工藤の負担は本件犯則事案上被告人会社の負担であり、同社の損金と考えられねばならない。

即ち、原判決は、被告人会社の実態を把握するに、被告人工藤の営む運送の業務を被告人会社の営業そのものと認め、各事業年度の収入中、運賃収入はもとより、預金利息収入も被告人会社の益金と認めている。

手形割引による利息については、原判決の理由中には明確な説明がなされていない(この点で原判決には、理由不備の違法がある。)が、犯則所得の確定に至る全体的考察からは、手形割引利息が被告人会社の収入として認定していることは間違いない。

手形割引に伴なう利息を被告人会社の収入、益金と認める原判決の立場からは、当然の帰結として、本件手形割引に伴なう不渡による割引人の負担も、被告人会社の負担と認めなければ判決の理由にくいちがいを生づることとなる。

されば、本件村山由太郎に対する手形金債権金五〇〇、〇〇〇円は、昭和三三年度の所得計算上損金に計上されるべきであるのに、これを見落した原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認と、これに基づく理由不備の違法がある。

二、旭木材工業株式会社に対する五〇〇、〇〇〇円の貸付金は、一応被告人会社の債権であることを前提に、その回収不能時期につき、原判決は、当該犯則年度以前に発生したものと誤定している。

右認定は、多分に被告人の大雑把にして簡単な供述のみによつたものと推定される。(昭和三六年五月一日付被告人工藤検面調書第一〇項)

しかしながら、当該回収不能の確定的時期に関する詳細な証人正札佐九自の昭和三九年二月二〇日付証人尋問速記録によると、昭和三二年春に確定的に回収不能となつたことが証拠上明らかであつて、この点の事実を誤認して、被告人会社の損金計上を認めなかつた原判決には、判断に影響を及ぼすべき事実誤認がある。

三、佐々木土木株式会社に対する金二、〇〇〇、〇〇〇円の貸付金も、原判決では被告人工藤個人の債権であると認定されている。

しかし、右貸付金も手形割引なる方法によつて貸付けた手形貸付金(昭和三六年五月一八日、被告人工藤検調第一〇項一一項)で、しかも、前記村山由太郎の場合と同じく、当該手形割引に伴なう利息を、被告人会社の収入、益金と誤めている以上(記録第一、八八一丁手形割引による利息収入、割引先佐々木土木の欄、及び記録第一、八八〇丁支払利息戻入佐々木利息戻入の欄)

これ又、不渡による負担も、被告人会社の損金と認定されねばならない。

四、イ、道東興業株式会社に対する出資金及び貸付金合計二、五〇〇、〇〇〇円、並びに釧路トヨペット株式会社に対する出資金一二、〇〇〇、〇〇〇円は、原判決によると結局、被告人工藤が被告人会社の金を利用して投資したものと解して、この点に関する原審弁護人の主張を排斥している。

しかしながら、その理由として原判決が摘示している事実は、いづれも証拠にもとづかない事実認定、又は証拠の誤つた判断による事実認定の積み重ねであり、倒底是認することは出来ない。

即ち、自動車販売業なる釧路トヨペット株式会社は、トヨペット車の大口ユーザーである被告人会社にとり、投資当時密接不可分な関係にあり、しかも将来においても被告人会社従業員の人的交流を考えていたものであり、(記録九六四丁~七丁、一、〇二八丁~一、〇四九丁昭和三六年五月二四日付被告人検面調書第四項)

映画興業を目的とした道東興業株式会社も、被告人会社従業員の厚生施設としての役割を目指していたものである。(記録九八八丁)

ロ、原判決は

「右各出資が、被告人会社の取締役会の決定を経ないで被告人工藤の独断で決定されたもので、その名義も、同被告人等の個人名義であること等」の事実を認定し、これらを又本件貸付金等の帰属が被告人会社にないことの事実認定の基礎としているようである。

しかし、そもそも本件貸付金等の支出が、取締役会で決定される事項でなければならないとは、商法二六〇条の解釈からは必ずしも出てくるものではなく、かえつて同法二六一条三項、七八条により代表取締役の権限内行為と認めるのが通常である。

きして、被告人会社の如き中小企業で法定員数を揃えるためだけの取締役に過ぎない会社に対し、形式的な取締役会の決定の有無を論ずることはナンセンスである。

しかも、会社の出資金であつても、それを会社代表者の個人名義にしておくことも世上往々にしてあることである。

ハ、以上の如く、原判決は極めて形式的、表面的な証拠の小片をかき寄せて本件貸付金等が被告人会社の出資とは認められないという同会社にとり、むごい事実認定をなしているのである。

この点については、捜査にあたつた国税局等の考え方が筋が通つており、本質的な見方をしているものと云える。

けだし、国税局は、先づ本件貸付金出資等の積極財産の存在を認識し、この額を確定し、しかして当該財産のよつてきた源泉を考えるわけである。

而して、この源泉は、被告人工藤の本社所謂B部門における運送業務による収入等である。

されば、収入、益金の把握につき、右被告人工藤の個人営業を認めず、被告人会社の営業による収入のみを考える立場からは、かかる収入を源泉源資とする貸付金、出資等の支出も、特段の事情、たとえば家計費、家計関連費、個人的関係にもとづく出費であるとの事情がない以上、これを被告人会社の貸付金、出資とみる立場に到達せねば一貫しないわけである。

査察国税局の採用した結論は、正に右の通りであつて、是認されねばならない。(記録一、八六三丁、一、九〇六丁、昭和三二年度、同三三年度修正貸借対照表、有価証券a/c)

ニ、以上、国税局の筋の通つた本質的見方に従えば、本件貸付金等が被告人会社に帰属すると認定されるのであり、更に、これらの貸付金等が、本件犯則年度の損金に計上されねばならない所以は、原審における泉敬弁護人の最終弁論第二、一、1、及び二、において詳説されているので、これをここに引用する。

尚、トヨペット株式の評価減の必然性については、記録四四九丁、四五〇丁等により明らかである。(控訴審における被告人本人尋問により、更に明らかにする予定である。)

五、荒沢幸一に対する五〇〇、〇〇〇円の貸付金も、原判決は被告人工藤の個人債権であると認定している。

右認定は、被告人工藤の昭和三六年五月一七日付検面調書第一七項の供述にもとづき心証をとつたものであろうが、右供述中にもある如く、被告人会社の常顧客であつた雪印乳業の社員である関係上貸付したものである特殊性から、被告人会社の貸付金と認定するのが前項に述べた貸付金の源資との関連性から自然である。

国においても被告人会社の貸付金と認定しているのに(記録一、九一二丁7、)

原判決がこれと相反する認定をしたことは、これ又判決に影響を及ぼす事実誤認と云うべきである。

六、預金利息収入を被告人会社の収入とする理由の一つに、原判決は、

「その所得源ならびに支出先」

をあげている。

右預金又は預金利息の支出先が、結局は前述の如く、種々の貸付金・出資金等になつている以上、当該支出をして被告人会社の支出にあらずして被告人工藤の個人債権であるとする原判決は、理由にくいちがいを生じさせている違法がある。

第五、原判決は、被告人会社の犯則年度の所得に関する収入益金の把握につき、次のような事実誤認と、当該益金確定の理由づけをなしていない違法及び益金認定の理由にくいちがいを生じさせている違法がある他、証拠にもとづかないで事実認定をした訴訟手続の法令違反がある。

一、イ、原判決は、被告人会社の所得額を確定するに、前述した如く、その収入項目の中「受取利息a/c中の手形割引による利息収入」が何故被告人会社の収入となるか、又いくばくの金額が右利息収入として確定されるべきかにつき何らの説明も理由もなしていない。

これは、判決に理由を付さない違法があると云うべきである。

けだし、右割引利息収入は、その金額の大なることにおいて、更には原審における二大争点たる被告人会社の実態把握に密接な関連を有すること、及び右利息が貸付金・出資金等の源資の一部を構成していることにおいて、当該利息収入に関する理由を付さなかったことは、判決全体に影響を及ぼす違法と云い得るからである。

ロ、手形割引利息収入については、前項で述べた如く、原判決に理由不備の違法があるものであるが、その収入の帰属の点につき論及したい。

そもそも、被告人会社の実態が、単に組合的統轄機関で、所謂本社の運送業務が、被告人工藤により行なわれていたと主張する弁護人の立場からは、右運賃収入により蓄積された資金、又は対銀行割引枠を利用して、当該運賃債権確保のために、顧客の依頼に応じてなした本件手形割引による利息収入は、当然に被告人工藤の所得であると云わねばならない。

仮りに、原判決認定の如く、本件手形割引による利息収入が、被告人会社の収入として把握され帰属されるとしたならば、前述第四で述べた如く手形割引による手形貸付金は、当然に被告人会社の債権として把握されその貸倒は、被告人会社の損金として計上されねばならない。

ハ、逆に、原判決認定の如く、各種貸付金・出資等が被告人工藤個人の債権であるとする立場からは、右貸付金等の源資たる運賃収入はもとより、手形割引による利息収入も、特段の事由のない限り被告人工藤個人に帰属するものとしなければ首尾一貫しない。

この意味で原判決は、右事実認定を誤つたのみか、被告人会社の収入帰属に関する理由相互にくいちがいを生じさせている違法がある。

ニ、手形割引による利息収入が、原判決の如く、仮に被告人会社の収入であるとしても、その中には、本来被告人会社の収入として把握されてはならないものが含まれている。

即ち、被告人会社から収入を受けたと記載されている昭和三二年度における金一〇二、一九七円(記録一、八五七丁、一、八八一丁、割引先釧路貨物の欄)

及び昭和三三年度における金二一〇、六〇九円(記録一、九〇一丁、一、九二〇丁、右同)

は、被告人会社が自ら支払つた手形割引利息等を自らの収入としているもので自己矛盾しており、被告人会社の右両年度の益金から夫々控除されなければならない筋合のものである。

右の点に関する被告人工藤の釈明(記録一、〇四三丁~四丁)は、必ずしも明確でなく、且記録一、九二〇丁の一覧表の割引先なる記載と矛盾するので余り意味がない。

仮りに、右工藤の釈明のように被告人会社釧路貨物振出の手形を、名義借人が割引依頼に持参したものと考えても、右名義借人が割引料を支払つているかいないか明確でない以上、名義貸先と被告人会社の内部精算関係はともあれ、やはり、被告人会社の支出によるものと認められ、前述の矛盾は解決されていない。

二、ところで、預金利息収入について原判決は、すべて「これを被告人会社の収入とするに疑義はない」と判断している。

しかし、預金利息収入中左記のものは、被告人会社の収入とするに多大な疑義があり、被告人工藤清の個人収入として判断すべきものである。

イ、即ち、昭和三二年度の預金利息収入中左記定期性預金利息合計四、二五五円(記録一、八五七丁、一、八七九T、富士積立預金利息五口合計)は、被告人工藤個人の収入であつて、被告人会社の益金から控除されねばならない。

けだし、右普通預金利息の源資たる定期性預金は、いづれも被告人工藤が同人の娘厚子(富士銀行釧路支店積立預金、番号63/56)

淳子 (同63/54)

靖雄 (番号不明)

洋子 (同63/70)

幸子 (同63/71)

名義で毎月一、〇〇〇円乃至二、〇〇〇円という少額づつの積立をなしたものであることから、被告人工藤の毎月の給与分からの積立てであることは明白である。(記録一、八五七丁、証拠をして参考に掲示されている銀行調査書類中の積立定期出入記入帳)

ロ、尚、工藤厚子名義の拓銀定期積立金No.112/41及び114/75は、被告人工藤の釧路トヨペットからの給料を、子供名義に五人に分けて積立たもの、及び三井生命の掛金の戻等により積立てられたもので(記録九六〇~一丁)あるから、右定期積金を源資とする昭和三二年度の利息二三、七六三円は、被告人工藤の所得であり、被告人会社の同年度の益金から控除されねばならない。(記録一、八五七丁、一、八七九丁、昭和三九年九月三〇日付記載事項)

ハ、尚、昭和三三年度の預金利息収入についても、前年同様の問題があると思われるが、訴訟記録中に明細別表(4)が脱落しているように思われ、証拠にもとづく意見表明は出来ない。

しかるに原判決は、かかる脱落した証拠により被告人会社の昭和三三年度の所得確定に関する事実認定をしたものと解され、証拠にもとづかないで事実認定をした訴訟手続の法例違背があるものと云わなければならない。しかも、これにより判決に影響あることは、前記イ、ロ、により、当該年度の所得にも同様充分に推測されるところである。

三、尚、預金利息中には、被告人工藤の運送業務によらない純然たる別の営業(鮭、鱒漁獲販売)により得た収入を蓄積した預金を(約一、〇〇〇万円)源資とする預金利息も含まれている。(記録八六一丁、控訴審における被告人尋問により新たに立証予定)

されば、昭和三二年、三三年各犯則年度における被告人会社の所得計算上、その収入から、右預金一、〇〇〇万円に対応する年六分の利息、各六〇〇、〇〇〇円は控除されねばならない。

四、以上、被告人会社における出資金・貸付金等の中、回収不能のものが多数あり、それらがいづれも当該犯則年度の損金として計上されねばならない所以を論じてきた。

右損金計上の必然性は、右出資金・貸付金等が会社の公表決算にのらない所謂簿外で処理されていた場合でも同様である。

右は原審において高橋主任弁護人が論述し更に被告人工藤の主張にもある、税法の所謂積極計算主義にもとづくものであるのみならず、旧国税犯則法上の犯則所得なるものの確定につき実務上認められてきた慣行である。

けだし犯則所得は、税法上の通常の所得概念と異なり犯則益金から犯則損金を控除したものであるが右犯則損金の把握は、公表決算の有無に拘らず実体的、実質的観点から確定されることが刑罰を科する犯則事案上要請されるからである。

(右犯則所得なるものの本質と、これに関連して、本件簿外貸付金等を損金計上すべき所以につき、控訴審において、証人、公認会計士、税理士池田昇一により立証予定)

第六、

一、以上述べた如き各事実誤認が原判決に存在する限り、原判決の量刑は甚だしく不当となつたものと云える。

即ち、被告人会社の営業の実態が、被告人工藤個人の運送営業の他、各名義借人の個人営業の統括機関に過ぎないと見られた場合は、被告人会社の所得は、名義料収入と、これを得るに必要な右統括機関の経費を控除したものに止まり、原判摘示の如き犯則所得が生づるいわれはない。

仮りに原判示の如く、被告人工藤の運送営業が被告人会社の営業であると認定されたとしても、被告人工藤の犯意の不存在、被告人会社の不良貸付金、出資金の存在とこれの損金計上の必然性、益金中利息収入の控除分の存在等が認められる以上、これらに伴なう犯則所得の減少が当然に期待される。

されば原判示の量刑の根拠となつた犯則所得額に多大の影響ある以上、原判決の量刑は著しく不当となり是正されねばならない。

二、特に原判決主文中、被告人会社及び被告人工藤に対し、昭和三三年度の所謂判示第二の事実につき云渡した各罰金刑は、次の理由によりいづれも量刑不当である。

即ち、昭和三三年度の確定申告は、原判決でも指摘している如く、税務署係官の事前の了解を得て、所謂概算申告をなしたものである。

更に前年度の税務調査とその勧告にもとづき被告人会社の所謂公表決算と、被告人工藤の運賃収入を合算した上で確定申告したものである。

されば当該年度の犯則所得額の結果如何、又は昭和三二年度の犯則所得との比較の観点からのみでなく、右確定申告時の事情を情状として充分考量するとき、原判示第二の事実につき言渡した原判決の量刑は著しく不当と云うべきである。

以上種々主張して来た如く、原判決には理由不備の違法がある他、著しい事実誤認、訴訟手続の法令違反があり、これが判決に影響を及ぼすべきことが明らかであるから、原判決は取消されなければならない。 以上

控訴趣意補充書

控訴人 釧路貨物自動車株式会社

他一名

右控訴人等に関する昭和四一年(う)第一二〇号法人税法違反控訴事件につき、左の通り控訴趣意を補充陳述する。

昭和四一年七月一六日

右弁護人 池田雄亮

札幌高等裁判所刑事部 御中

原判決には更に、次のような採証法則の経験則違反という訴訟手続の法令違反とこれに伴なう事実の誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。すなはち

一、被告人会社の当該各事業年度の収入中、運賃収入に関しては、昭和四一年七月五日、右弁護人提出の控訴趣意書第一の一、及び第五の一、八において述べた如く、被告人会社と被告人工藤の個人営業を区別して考える立場からは、名義料収入のみが被告人会社の運賃収入として計上されるべきことになる。

されば被告人工藤の個人運送業務による運賃収入は、同人の個人所得として計上把握されるべきである。しかるに原判決では、すべて被告人会社の運賃収入として把握しているようであるが、これが事実誤認であり、しかも右運賃収入を源資とする手形貸付金、出資金等の帰属に関する理由づけの内に理由不備の違法があることは前述したところである。

二、仮りに、当該各事業年度の被告人工藤個人営業にかかる運賃収入が、原判決の如く、被告人会社の運賃収入であるとの立場を是認したとしても、その中には、被告人会社の収入として合算されてはならないものが含まれている。

即ち、十勝牛乳輸送有限会社関係の運賃収入につき、昭和三二年度においては金一、三〇二、八二五円、同三三年度においては金三、三七四、五四二円が被告人会社の当該各年度における運賃収入計上洩れとして、国により把握され、原判決もこれに従つているようである。(記録第一、八五六丁、1(1) 同第一、八九九丁1(1))

三、右金額は、当該年度の収入からいづれも控除されるべきものである。

右十勝牛乳と被告人工藤の関係は、被告人会社と同工藤との関係と同様に、単なる名義貸人と名義借人の関係に過ぎなく、被告人工藤の個人営業である実態は、右十勝牛乳においても被告人会社においても変りないのである。

この点を詳説すれば十勝牛乳においては、名義借人は元来川守田他平井、福井等であり、これらが被告人会社と同様の組合的統括的機関としての右十勝牛乳輸送なる有限会社を設立し、平井をしてその代表者にしておいたものである。

而して、昭和三二年頃、右名義借人の一人である川守田のその個人営業の行き詰まりから被告人工藤個人が、右川守田の地位を承継したものに過ぎず、被告人工藤は十勝牛乳の名義借人として且被告人工藤の個人営業として、十勝牛乳輸送の名前を用いて営業をなしたものに過ぎない。(記録第八五二丁~七丁、控訴審において新たに立証予定)

四、以上の事実によれば、被告人工藤が十勝牛乳の名前の下に行つてきた運送業務は、被告人会社の所謂本社部門の運送業務ではなく、まして、右十勝牛乳の代表者が被告人工藤以外の者であるにおいては、右有限会社の営業即被告人工藤の営業と云えないのは勿論である。

原判決は、被告人工藤の個人営業が、被告人会社と十勝牛乳輸送の名前で行なわれている実質的形式的差異ある事実を認識せず、被告人工藤の営業即被告人会社の営業であり、更に十勝牛乳の名義借人としての実質を有する被告人工藤の営業部分をも被告人会社の営業と即断し、その運賃収入を合算したものである。

右の原判決の認定は、その過程において論理の飛躍があり、これによる採証法則違反という訴訟手続の法令違反とこれによる重大な事実誤認をなしたものである。

証拠の申出

被告人 工藤清

他一名

一、事件番号 昭和四一年(う)第一二〇号

一、件名 法人税法違反事件

右事件について被告人は其の主張事実立証のため左記証拠の申出致します

昭和四一年七月一六日

右弁護人 池田雄亮

札幌高等裁判所 御中

一、証人の表示

釧路市栄町一二丁目三番地

(一) 佐々速雄=専務

札幌市北四条西二〇丁目

(二) 池田昇一

釧路市城山町一二九番地

(三) 被告人本人 工藤清

二、証人はいづれも期日に同行予定

三、尋問事項は各別紙の通り

尋問事項(証人佐々速雄及び被告人工藤に共通)

一、被告人釧路貨物自動車の経理方法の大要、特に、被告人工藤と他の名義借人間において右経理方法の適用につき差異ありや。

二、被告人会社の営業の実態、就中、同社、本社営業部門は、その実質が何人により営まれていたものか。

三、国税査察官又は取調検察官に対し、何故「被告人会社即被告人工藤」なりとする趣旨の供述をなしたのか。

四、前項の供述は、外見上公判廷において変更したかの如く見えるが、変更したのか否か。

もし供述の変更ありとすればそれは何故か。

五、昭和三二年度の被告人会社の確定申告に対し、釧路税務署より如何なる指摘がなされたのか。

右指摘事項は昭和三三年度の税務申告の際、具体的にどのように取入れられたのか。

六、前項の昭和三三年度の税務申告に際し、被告人工藤個人の運賃収入の一部が合算されたに止まる理由。

更に手形割引等の利息収入は何故合算されなかつたのか。

七、前項の手形割引の際の銀行に対する歩積金及び銀行枠等の源資は、運賃収入以外のものがあるか。

八、手形割引行為は、被告人工藤以外に被告人会社によりなされたものがあるか。その際の銀行割引枠及び歩積金の源資は何か。

九、被告人工藤は、被告人会社より手形割引を依頼されたことがあるか。その回数及び理由。

その際の手形振出人は誰か。

割引料の負担は被告人会社がなすのか否か。

この点に関する被告人の査察官に対する質疑応答(記録一、〇四三~四丁)の真の意味如何。

十、昭和二六年以前における被告人工藤の営業は何か。

これにより同人個人の財産として如何なる額が如何なる形で蓄積されたか。

特に富士銀行及び拓銀の特別定期預金は、何時、如何なる源資により形成されたものか。

十一、工藤厚子他被告人工藤の子供名義の積立預金の積立理由及びその源資は運賃収入か。給料所得によるものか。

十二、十勝牛乳輸送有限会社と被告人工藤の関係。

右会社における被告人工藤の運送営業と、被告人会社における被告人工藤の営業の関係如何。

特に、被告人会社の運賃収入中に右十勝牛乳関係の運賃収入が合算されねばならない理由があるか。

十三、村山由太郎に対する 五〇〇、〇〇〇円

佐々木土木に対する 二、〇〇〇、〇〇〇円

道東興業に対する 二、五〇〇、〇〇〇円

釧路トヨペットに対する 一二、〇〇〇、〇〇〇円

荒沢幸一に対する 五〇〇、〇〇〇円

の各貸付又は出資の理由並びにそれが手形貸付又は手形割引の形態をとるものであつたか否か。

右貸付金等の回収可能性、特にトヨペット株式の評価減の根拠。

十四、右に関連する一切の事実。

尋問事項(証人佐々速雄及び被告人工藤に共通)

一、被告人釧路貨物自動車の経理方法の大要、特に、被告人工藤と他の名義借人間において右経理方法の適用につき差異ありや。

二、被告人会社の営業の実態、就中、同社本社営業部門は、その実質が何人により営まれていたものか。

三、国税査察官又は取調検察官に対し、何故「被告人会社即被告人工藤」なりとする趣旨の供述をなしたのか。

四、前項の供述は、外見上公判廷において変更したかの如く見えるが、変更したのか否か。

もし供述の変更ありとすればそれは何故か。

五、昭和三二年度の被告人会社の確定申告に対し、釧路税務署より如何なる指摘がなされたのか。

右指摘事項は昭和三三年度の税務申告の際、具体的にどのように取入れられたのか。

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